事業の目的

我が国のニジマス養殖の歴史

美しい山々の谷間を流れる澄みきった渓流や、大地に湧き出た泉の水を、贅沢なまでにふんだんに使って育てられている養殖魚が虹鱒(ニジマス)です。

日本は豊かな森と清らかな水に恵まれており、全国いたるところに名水といわれる湧水や清流があります。そうした冷たく澄んだ水のある場所には、ほとんどのところにニジマス養殖場があります。北海道から鹿児島県まで、養鱒(ヨウソン)業者は広く分布し、地域に根差した産業として定着しています。

ニジマスとは英名のレインボー・トラウトを直訳した和名です。英名も、成長すると体側に虹色の鮮やかな帯が現れることから名付けられたものと思います。元々ニジマスは日本に生息していた魚ではありません。ニジマスが初めて移入されたのは、1877年(明治10)のことです。米国カリフォルニアから船で横浜に届いた1万粒の卵は、東京で孵化し、稚魚は多摩川に放流されたといいます。

その後、ニジマス養殖は政府の水産増殖奨励の方針のもと、産官学挙げての推進体制により、戦後は故郷の米国に輸出するまでに発展し、外貨獲得の一翼を担ったのです。

一方で、外貨獲得のための高級魚は街の鮮魚店では扱われず、観光地のホテルやマス釣場で出会う珍しい魚でした。71年のドル・ショック以後、対米輸出は急速に減少し、時を同じくして拡大しつつあったスーパーに、定時・定量・定質・定価の特長をもつ、当時では数少ない養殖魚として並べられ、都会でも日常的に食べられる魚になって行きました。このような経緯から、わが国での養殖の歴史は古いものの、他の天然魚のような伝統的な食文化が形成されなかったのだと思います。

ところが、80年代以降、国内でも海産魚の養殖が盛んになり、魚介類の輸入も増大し、鮮度保持技術や流通も格段に進化したため、国産養殖ニジマスの特長が目立たなくなり、消費は減少傾向にあります。

実はニジマスの消費は増えている

実は「ニジマス」自体の消費量は90年代から急速に伸びているのです。海外から輸入される「サーモン・トラウト」などと表示された「ニジマス」が大量に出回ったためです。実はこの魚は海水養殖されたニジマスなのです。サーモンのお刺身やお寿司、スモークの多くはこのニジマスです。大きさや肉の色も違いますが、同じ魚なのです。淡水で約1年飼育した後、海水に馴致して、生け簀の中で急速に成長させたニジマスです。

今では外食でも家庭でも、誰もが日常的に食べている定番食材となった養殖「サーモン」は、すでに天然漁獲を上回る生産量になっており、我が国には主に南米のチリや北欧のノルウェーから、冷凍品が輸入されており、国内生産量の約10倍量となっています。

“幸せニジマス”を食卓へ

我々養鱒業者は、歴史と伝統のある日本のニジマスが、多くの人々に愛されるよう、飼育方法や味にもこだわりを持ち、「安全・安心」はもちろんのこと、幸せに育ったニジマスの提供に努めています。当協会では「幸せニジマスを食卓へ」をキャッチフレーズに販促活動を行っています。「幸せニジマス」とは、ファームフィッシュ・ウェルフェア(養殖魚の福祉)の考えの下、養殖魚にとってより良い環境で育ったニジマスのことです。

当協会では、我が国の素晴らしい環境で育った国産ニジマスを、全てのステージを管理できる養殖魚だからこそできる安全性の確保とともにPRし、多くの方々に国産ニジマスの良さと美味しさを知っていただくこと。同時に、養鱒業界の取り組みをご理解いただくことを目的に、次の事業を行っています。

全国養鱒振興協会
[Japan Trout Farmers Association]
[ぜんこくようそんしんこうきょうかい]

〒441-2224 愛知県
北設楽郡設楽町豊邦字豊詰27
愛知県淡水養殖漁協内