ニジマスが日本に初めて移入されたのは、明治政府ができて間もない明治10年(1877)のことです。その後も卵を米国から輸入していますが、湖沼への放流が主たる目的でしたので、目立った成果は認められていません。
ニジマス養殖の開始は、大正15年(1926)公布の水産増殖奨励規則が契機となりました。これにより全国の都道府県に孵化場や養殖場ができ、ニジマスの養殖が盛んになりました。昭和初期に年間100ton程度の生産量は、昭和18年(1943)には500tonに伸びています。
戦時中は一時的に生産ができなくなりましたが、昭和25年冷凍ニジマスが初めてハワイ向けに出荷され、昭和27年から本格化しました。
冷凍ニジマスの対米輸出は長野県、静岡県、山形県などの主産県が中心になって行われ、これらの県の生産者組合(漁協)が、輸出に関する調整協議を行ったのが全国団体設立のきっかけになりました。
昭和34年に全国虹鱒輸出振興協会が発足し、翌年名称を全国虹鱒振興協会と改名しました。さらにニジマス養殖業者が、在来マスや海面養殖用のギンザケ種苗の生産を行うなど、生産魚種も多様化してきたことから、平成元年には全国養鱒振興協会と名称を改めて現在に至っています。
昭和27年 | 全国養鱒事業振興大会開催(長野県明科・軽井沢) 日本養鱒協会設立 |
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昭和33年 | 長野・静岡・山形三県合同輸出虹鱒対策協議会開催 |
昭和34年 | 全国虹鱒輸出振興協会設立 |
昭和35年 | 全国虹鱒振興協会に改名 |
平成元年 | 全国養鱒振興協会に改名 |
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